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続けて、再び映画「グレイテスト・ショーマン」について。
まだ劇場にて公開中だが この作品についてはいくつかの質問をいただき 映画好きのひとと語らう機会もあったので、あらためて考察してみる。 これもかなり長くなりそうなので 本当に興味のあるひとだけどうぞ。 ネタバレも多分に含まれるので要注意。 この作品、前回の記事にてザックリと 「これは史実ではなくエンターテイメントとして観るべし」と書いた。 公開当初、本国では賛否がかなり分かれたが その理由はきっと歴史や登場人物についての認識のズレだろう。 前回の記事でも触れた映画「エレファントマン」などで見られるように 当時、実際の見世物興行はかなり闇の部分が深い。 夢のある前向きな参加や起用ではなく、 あくまで食べていくため、生きていくために仕方なく 晒されているというのが実情だった。 重度の障碍を持つものも多く 中には奴隷同然で親に売り払われた人物も多かったはずだ。 そして満足な睡眠や食事も与えられず 病気や怪我でも適切な治療を受けられない粗悪な環境だっただろう。 きっとこの認識は私が日本人だからということではなく 世界各地においても、そういった裏文化に対する認識とイメージは かなりタブーを含むダークな問題を孕んでおり それに対してこの作品全体の明るすぎる表現方法が、 評価を二分した原因だと思う。 ※1932年制作映画「FREAKS」トレイラー この映画のテーマは「移民」「フリークス」「人種差別」 大きくはこの3つだろう。 明るすぎる表現方法と書いた理由は まず第一に、主人公バーナムと奥さんのテャリティ。 たしかにバーナムは幼少の頃、貧困にあえぎ、死に物狂いで その後の普通の生活の獲得に成功したように描いている。 これに対し奥さんは金持ちの一人娘?というなんとも 判りやすく、そして判り難い描き方をされている。 そのため、 「ニューヨークの社会は私たちを受け入れることは無いのよ」 という彼女の辛らつなセリフも、何か現実離れしていてピンとこない。 「タイタニック」の美少年ディカプリオでさえ 移民臭がよく描かれていたのに。 バーナム演じるヒュー・ジャックマンを観て 移民の人物を想像させるのはかなり無理がある。 バーナムはニューイングランド出身だが ヒューは生粋のニューヨーカーに見えないことも無い。笑 (ちなみに彼はオーストラリア出身。) チャリティも然り、2人の子供にも移民の子という片鱗は見えない。 所謂、裕福そうなキレイな家族にしか見えないのだ。 実際の貧乏を味わった私自身、ちょっと「フフっ」となってしまった。 余談だがこの買い物メモのシーン、 疲れて眠ってしまった奥さんが握っていたものだが 舞台である1850年ごろを推察するに やはり裕福な家系は小間使いやメイド、当時は奴隷も居たかもしれない。 一家の奥様が買い物メモを手にして食品を買い漁るなんて とても貧乏だ、という表現だと時代考証のスタッフは考えたのだろうが 日本人にしてみるとあまりピンと来ないだろうシーンのひとつだ。 閑話休題。 第2に「フリークス」 これは上記でも触れたように、あまりに事実とかけ離れているように感じる。 奇形や異形(いぎょう)というよりは ちょっと変わったファッションの人 少し独特なお洒落をしてる人 ほかの人とは個性が違うためにニートになっちゃった、的な軽さだ。 これはすでに面接に来たときに神妙な面持ちの人物が皆無だったこと。 ここでも、現在で言うところのハローワーク的な軽さは否めない。 無職であったり隠れて暮らしてはいるが すでに個々のフリークスが意外と堂々として元気なのだ。 フリークスの主軸であるレティという多毛症の女性。 まるでパーティグッズのような取って付けのヒゲが それを助長しているのは間違いないだろう。 たぶん特殊メイクのスタッフはもう少し上手にできたはずだ。 この理由は後に記そう。 これはこの作品のラブストーリー部分に関係してくるのだが 面接のシーンにて「兄妹か?」というセリフを見逃してしまうと とても兄妹とは思えない黒人のふたりだ。 兄はとても黒い、それに対して妹は 日本人から見ると「…黒人なの?」と思うくらいの個性。 この兄妹がとるリアクションやそれがいかに凄いことなのかがピンとこない。 1850年頃といえばピーキーな地域だと 黒人と白人の歩く道が区別されていたり 入れる店や施設、席が限られていたりと 今現在からはかけ離れた深刻な人種差別状態だった。 それほど遠い昔じゃない1950年代でさえ アフリカの黒人の幼児に白人の洋服を着せ「ZOO」と書かれた柵に入れ 白人の大人たちがそれを見物した、なんて時代でもあった。 「全員が行くか、誰も行かないか、そう女王に進言しよう」という せっかくの大事なセリフもなにか心にズシっとは来ない。 黒人が宮殿に入り込むなんていうことは絶対にありえない時代で その後のシーンにてアンがフィリップに誘われて観劇に訪れる際、 「ずっと劇場に来たいと思っていたの」というセリフからも垣間見られる。 二人のラブストーリーも、黒人に偏見のある両親に 「ちょっとだけ反対されてる恋愛」的でやはりポップなテイストではある。 当時の現実を見れば両親の反応の方がはるかに正常なのだということが あまり上手く描かれていない。 もっと上流階級、社交界全体が黒人に対して差別的だという表現が必要だっただろう。 史実として観たかった観客や それらを期待した評論家をモヤモヤとさせたのは当然だろう。 …とまあ、否定らしきことをしてみたが 私は決してこの映画が嫌いではない。 むしろ好きなほうだ。 なぜなら この映画には「史実なんてクソくらえだ!」という潔さを感じるからだ。 たとえば、バーナムが沈んだ貨物船の権利書を使って それを担保に銀行から莫大な融資を受ける。 もちろんこれは重大な詐欺行為だ。 ではなぜ主人公を犯罪者に仕立ててまでこのシーンが必要だったのか。 それは「時間」だ。 実在のバーナムは詐欺など働かず、 …まあ少しくらいの悪事悪行はあったかもしれないが ある意味堅実にお金を作り興行し財を得た。 しかしこの映画において、物語の冒頭、 いきなりバーナム博物館をおっ建てるには
これくらいのウリャウリャ感での強引な時短が必要だったわけだ。 実際のバーナムのショービジネスは、記録によると 最初は見世物小屋から始まっている。 その後、博物館を買い取り興行を発展させていくわけだが そのペテンというか口八丁手八丁というか 劇中にも出てくる「バーナムのペテン」という言葉通り ジャックマン演じる善良な精錬潔白さとは全く正反対の 愛すべき悪人の素性が歴史を追うごとに明らかになってくる。 そういった意味で、 この明るく清潔なヒュー・バーナムの個性や作品自体が 実はT.P.バーナムのペテンなのではないだろうかと… それに騙されて楽しむことこそがこの作品の意図だと強く感じられる。 劇中の「ペテン師の言い訳だろ?」の記者の問いに対しての 「あなたが最後に笑顔になったとき それは、いい笑顔だったか?本物の笑顔だったか?」という言葉が バーナムの答えであり信条なのだと理解する事ができる。 この作品、映画的手法でとても感心したカットがある。 ドラマ部分の監督や脚本、演出家が実は描きたかったであろう 当時の絶望的で辛らつな情景。 それが下の画像だ。 しかしこれこそが当時の「人種差別」を一発で表現する 心に突き刺さる一枚だ。 恋人を助けようと火事に飛び込み 病院に運び込まれた夜のシーンではかなり暗く セピア色の病室だったが フィリップが意識を取り戻したこの日中のシーンでは 差し込む日の光以上に 白い壁、白いカーテン、白いベッドに白い寝具、 イスや台座、器具までが真白に統一されている。 実はそうではない。 この部屋にいる全員の視線が彼女らに注がれている。 それはラブシーンを見逃すまいという心温まるシーンだと思ったひとは かなり幸せなひとかもしれない。 彼らは二人を睨んでいる、もしくは困惑しているのだ。 ここにいる黒い背広を着た人物、 これは医師ではない。医師なら白衣を着ているはずだ。 ここは白人だけが収容されるべき病院の病室で もちろん面会においても黒人の立入りが固く禁じられている場所であり 情景を真っ白で統一することで、それを暗に表現しているわけだ。 黒い人物はセキュリティ、もしくは運営担当 この後、アンに対して 「ここは君の居るべき所じゃない、出て行ってくれ」と 言う直前、もしくは言いあぐねている様子だ。 たった5秒弱のワンカットでこれだけの表現力をもつ絵画(え)に 私は感動を覚えずには居られない。 知らないことが幸せなことも多いだろうが 私は知って幸福を見出したい そんな自分の歪んだ性格が、そろそろスキになってきた そんなお年頃だ。笑 いろいろ解説してきたが 実際のところ、この映画が多大に評価されている半面 なんかモヤモヤする本当の原因は、実は上記の事柄が主ではない。 ちゃぶ台をひっくり返すようで申し訳ないが 実際は 「唄って踊れる俳優の起用」が最重要課題だったため ドラマ部分の重みや深みが手薄になってしまったのが本当のところだろう。 バーナムをヒュー・ジャックマンが演じたこと バーナム一家に悲壮感が全く感じられなかったこと レティが付けヒゲ丸出しだったこと アンがぜんぜん黒人ぽく見えなかったこと フリークスであるダンサーが最初から全員元気一杯だったこと すべてがこの理由に置き換えられる。 演技の説得力よりも歌唱、ダンスのクオリティに重きを置いたわけだ。 まあ、ミュージカルなのだから当たり前といえば当たり前で 劇団四季然り、宝塚歌劇団然り 私やタモリさんが「ミュージカルを受け付けない」と言う最大の理由がコレだ。笑 そしてフォックス映画ではあるが 得てしてディズニー色のかなり強い作品に仕上がっている。 きっとオープニングロゴのFOXをDisneyに変えても 違和感を持つひとは少ないだろう。 ちなみにこの映画製作の約1年後にFOXはDisneyに買収されている。苦笑 冒頭、「A MILLION DREAMS」の楽曲三部作 バーナム(少年)、バーナム(夫婦)、バーナム(娘) これらはアナ雪の 「Do You Wanna Build a Snowman?(雪だるまつくろ)」 の三部作に設定や展開が酷似している。 どちらも物語序章の成り立ち説明楽曲だ。 まあ、これらの手法はミュージカルの王道ではあるので 厳密にはアナ雪のパクリということではないのだが よく似てるな~と感じたひとは多いのではないかな。 そしてこの映画全体がポップすぎる味付けの最大の理由、 日本での劇場公開日は2月16日だが アメリカでの初演公開日が12月20日だということ。 そう、この作品はクリスマス映画なのだ。 ホームアローンやチョコレート工場、ダイハード感覚で観るのが大正解。笑 史実かどうかではなく 観客が話に入り込みやすいように実在の人物像を使ったに過ぎない。 そういった意味も踏まえて、既に映画を観たひとも もう一度違った視点で鑑賞してみてはどうだろう? 私は何度観てもアルビノの人物を見て「美しい」と感じる…なぜだ? …さて、今回の記事 すべて含めて「パラノイドのペテン」、如何だっただろうか?
by paranoid_eyes
| 2018-04-25 00:50
| Moviegoer 映画
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