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前回、「モアナと伝説の海」についてひとつ記事を書いた。
アナ雪ほどの興業収入は期待できないが 最終的には成功と言っていい売上げになるだろう。 興業成績はベイマックス > モアナ > ズートピア。 SINGと需要を分け合った割には稼いだほうかな? 封切りから1ヵ月近くが経って 公開を楽しみにしていたひとはほとんどが既に観賞したようなので 今回は内容について書いてみようと思う。 私の個人的な作品へのアプローチになるので 「うわ、キモ!」って思うひとはスルーの方向で。 かなり長くなるのでそれは覚悟の上で。 この作品が好きなひとはDVDを買うと思うので 分かり易く時系列で分析していこう。 まず、前置きとして実写制作の映画と違って アニメ作品というのはまったく無駄が無い。 これはどういう意味かというと 実写の場合、撮影の過程において 監督が撮りたいと思う演技、情景、色味などが 必ずしも思い通りに撮れるとは限らないし 編集の時点でNGが出てしまったり 納期に迫られて臨機応変に変更することが多い。 しかしアニメの場合は監督が撮りたいものしか描かない。 それは至極当たり前のことで 無意味なものをわざわざ描き込む必要が無いからだ。 実写撮影の場合、編集でのチェック漏れで 背景の通行人が偶然、主人公を立ち止まって見つめていたりするだけで 観客は「なにかの伏線では?」と思い込んでしまうことがある。 これは逆に、アニメで描く場合は 舞い散る花びら一つ一つ、動く影の一片にも 重要な意味を持たせる事が可能なわけだ。 …ちょっと分かり難いかな? なので、アニメ作品は作家や監督の描きたいことが 異常な密度で詰まっていると思って間違いない。 昨今では実写でも、CGを使って同じような試みをしている。 もちろんアニメ作品でも無駄なカットを描いている作品も多いし こういった手法を逆手に取り 観客が勘違いしてくれるようにわざと意味不明なシーンを入れる作品もある。 エヴァンゲ○オンなんかはその最たる例だろう。 もちろん実写映画よりもアニメ映画のほうが優れているという意味ではない。 そういった論争はナンセンスだ。 さて、「モアナと伝説の海」 冒頭は祖母が子供たちに伝説の物語を聞かせるシーンから始まる。 00:02.00 (オープニングからのカウント 時: 分 . 秒) 半神マウイがティフィティの宝「ハート」を盗むシーン。 マウイはフックを使い動物や昆虫に変身ができるのだが ここで興味深いのが、ニュージーランドの神話を調べてみると マウイ神の最期について 「マウイは永遠の命を得るために、祖母の体内に入ることを企む。 父親は、祖母の口には鋭い歯、膣には石の歯があり危険だと諭したが マウイは光るイモムシに変身し祖母の膣へ入ろうとする。 それを見たマウイの友人でもある鳥たちが笑い出したため 事態に気付いた祖母の膣の歯で砕かれてしまった」 とある。 もちろん、映画のマウイは両親に捨てられているので この神話とは必ずしも合致しないのだが、 双方とも、祖母がキーマンになっている点や 鳥の友人(ヘイヘイ?)などの符合もあり ティフィティへの母体回帰を裏テーマにしているとするならば この映画では光沢のある甲虫になって辿りついたシーンはなんともグロテスクだが 興味深い表現方法だと思う。 00:04.40 ここは海がモアナを試すシーン。 作品のトレイラーなどでは 最初からモアナが海に選ばれし者だったと思わせているが 私の見解は、この台詞の無いシーンで 彼女の資質を海が判断したとするのが正しいと感じる。 ここで私の深読み。 冒頭のシーンで祖母が子供たちに怖い伝説を話すとき モアナだけがキラキラとした瞳で楽しみながら聞いている。 彼女は恐怖心よりも好奇心が強い女の子で それがこのシーンでも適切に描かれている。 まず、海は後に象徴となるピンクの巻貝でモアナの興味を惹く。 しかし背後では鳥に狙われるカメの子供が怯えている。 もちろんカメが向かうは大海原で、モアナは葛藤する。 そして自分の物欲よりもカメの助けになろうと行動を起こす。 その際、大きなタロイモ?の葉を使いカメを防御するのだが ここからがかなり象徴的なシーンとなる。 普通に考えて、あの鳥は人間を攻撃しないことが分かっている。 ならばモアナがカメを手の上に乗せてそのまま海へ放せばいいのではないか? そう疑問に思う人も多いだろう。 「もしかしたらカメを手で触れない子かも?」 その答えとして 鳥に突かれて引っくり返ったカメをモアナが手で起こしてあげるシーンを追加。 そして再び葉で傘を作ると海へと誘っていく。 このシーンで描かれるのは単に「優しい子」ということだけではないだろう。 ここが映画的手法で カメは冒険に出ていくモアナ自身の象徴 鳥は妨害する困難や敵の象徴 そして葉で傘を作り、転んでも助けはするが 結局は自力で目的へと到達させる手助けだけをする それがマウイや海の象徴だ。 たった50秒足らずの描写で、この物語の全ての説明が完結している。 まさに映画的手法の最たるものだ。 その後に海が割れ、モアナは奥へ奥へと導かれるが まったく物怖じすることなく歩み、そして海の変化(へんげ)にも怖がらない。 一緒に物語を聞いていた男の子たちならば海の中へとは進まないだろう。 冒険に必要な、勇気と好奇心と行動力を持ち合わせた女の子だと 海は確信し、ハートを与えることを決める。 00:07.30 母親がモアナを抱き上げ 「この子はきっと驚く事をしてくれるわ!」 これはとても分かり易いラストシーンへの付箋で説明の必要は無いが 母親が伝説とどう向き合っているかを感じさせるシーンでもある。 00:09.50 成長していくモアナと、変わり者だが善き理解者の祖母のダンスシーン。 ここで気付いただろうか? 幼いモアナから少しお姉さんになった彼女とのダンスシーンへの移行で 祖母のスカートがマンタ柄のものに変わっていることを。 これは祖母の生まれ変わりの話にリンクしているのだが 裏読みすると、祖母の死期が近いことを示している。 直後のカットで、足のおぼつかない祖母にモアナが寄り添うことでも解る。 00:11.10 父親がモアナの成長に即し、人間はどうあるべきか、 村長の娘がどう責任を果たすべきかを解くシーン。 「みんなが望むお前になることだ」 00:15.50 母親が、父に反抗するモアナを諭すシーン。 「自分が望むものになれたら…でもそれは本当の自分じゃない」 この二つのシーンで彼女は青年期を迎える。 あまりにベタであっさりと観てしまうシーンだが エンディングに繋がる重要なシーンの一つでもある。 00:13.00 モアナがヘイヘイについて語るシーン。 ヘイヘイは出来損ないのニワトリに描かれているので 石を飲み込んだり、後にハートを飲んでしまったりすると 今の子供たちは、キチガイ染みた行動と勘違いしそうだが 実はニワトリが石コロを食べるのは普通のことで 歯の無い鳥が、飲み込んだ石と胃の筋肉で食物を租借しているのは有名な話。 焼き鳥の部位で砂肝というのがあるが あれは磨り潰された石が砂となって溜まっていることから名付いた。 だからヘイヘイは決してポンコツなニワトリではない。 …まあ、あんな大きな石を飲み込むのは、ネジが一本外れてる感はあるが。苦笑 ちなみに、この胃石、鳥類だけではなく アザラシやアシカ、ワニなども持っている。 水棲動物の場合、体重の調整にも使えるもので そういった豆知識も、子供たちに教えてあげて欲しいものだ。 …昭和生まれの焼き鳥好きな人たちは知ってたよね? 00:17.15 モアナが「みんなのため!」という大義名分で 自らの好奇心を満たすために無理矢理、舟を漕ぎ出しリーフを越えようとするシーン。 ここはアナ雪でいうところの「Let it GO」の件(くだり)にあたるのだろう。 当然失敗に終わるが、 実はこのシーン、父親が友人とリーフへ向かい遭難したこととも関係している。 なぜこの時のモアナと昔の父親はリーフを越えられなかったのか? それは野心や好奇心や興味だけでは越えられない壁だという暗示。 これは後のリーフを越えるシーン(00:32.00)でも表現されるが あれは祖母のマンタが導いてくれたというよりは 必要なものは「使命」とそれを成し遂げる「勇気」と「覚悟」だということを示している、と思う。 それは 00:20.00の「失敗したのを豚のせいにしてはいけないよ」との 何気ない祖母の台詞からも理解できる。 失敗は常に自分に原因があると諭しているわけだ。 00:20.30 祖母が海へと進み入り、複数のマンタが一緒に舞い踊るシーン。 これも上記で解説した、祖母の死期がさらに近付いていることを表現している。 00:21.20 アドバイスをして欲しいモアナが、話をはぐらかそうとする祖母に 「私に言いたいことがあるのでしょ?」と聞くシーン。 ここもあっさりと観てしまいそうだが、かなり重要な場面。 その台詞を言われた祖母はモアナに振り返る前に 一瞬、ニヤリという表情をする。 これは祖先から代々、1000年にも及ぶ言い伝えを 「とうとう話すときが来た!」と確信する大事なシーンだ。 00:22.00 祖母が秘密の洞穴へモアナを導いていくシーン。 ここは映画「スターウォーズのep5帝国の逆襲」で ヨーダがルークを「ダークサイドの洞窟」と呼ばれるところへ誘うシーンの オマージュだ…と私は思っている。 スターウォーズではその洞窟で ルークがダースベイダーと遭遇する幻想を見させられる。 ライトセーバーでベイダーの首を切り落とすと 割れた仮面から自分の顔が覗くというグロテスクなシーンだ。 モアナではドラムを叩きアプローチすることで 祖先たちが航海する海洋民族であったことを知ることになる。 宿命と本当の自分、というテーマでリンクさせているのだろう。 00:24.50 祖先の航海の回想で、舟の上で子供たちが雨を喜ぶシーン。 これは、水は冷たい雨であっても重要な命の糧、 それだけ長旅をしているという説明のワンカット。 00:25.10 航海の最後、白い鳥が映りこむシーン。 これも単なるイメージではなく、 付近に鳥が飛んでいるということは、鳥が宿れる島が近いということを 暗に指し示している説明になっている。 0027:.00 祖母がハートを初めてモアナに渡すシーン。 ここで「あれ?」と思ったひとも多いのでは? 祖母はどこでハートを手に入れたのか? 読み取れるのは、海がモアナを選んだ幼少の海岸のシーンで 祖母はそれを終始見ていて、モアナと両親が去ったあと ハートを拾って彼女が成長するまで持っていた。 もしくは祖母が海と対話ができる人物で、海に託されたか。 ただ、祖母と海が対話するシーンが無いので前者か。 遡ってモアナが幼少の頃、ハートを失くしたシーンをチェックしたが 祖母の影や映り込みは無かった。ある意味少し残念。 ここで私の深読み。 ハートの伝説は1000年を越えると説明されていた。 その間、何人もの伝説の少女たちが試されたのではないか? 実は祖母もその内の一人で、もしかしたらモアナの母も試されたか。 だから母親は父親よりモアナの冒険に肯定的であるのではないか? 00:27.59 モアナに全てを話したあと、祖母が一人、岩場に腰を掛け 大きな溜め息をつくシーン。 伝説を伝承し終えた安堵はあっても、充実感や喜びは彼女には無く 既に自分の死期が訪れたことを完全に自覚した重要なシーン。 命を使い果たした人間の、なんとも感慨深い表現方法になっている。 …まだまだ30分。 読むのに少し疲れただろうか?苦笑 次ページへつづく。↓↓↓
by paranoid_eyes
| 2017-04-07 23:57
| Moviegoer 映画
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